負けないで(不要被打倒!)

 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000691-san-soci

大津波で妻と息子を失った市職員 「負けないで」と被災者に呼びかけ 

産経新聞 3月18日(金)22時24分配信

(中譯)

在大海嘯中失去妻兒的市公所職員向災民呼籲「不要被打倒!」 

產經新聞318(星期五) 2224分發訊

 至親全亡 名取市職員忍痛勉勵:不要放棄! -2011.03.19-2.jpg 

名取市職員の西城卓哉さんが書いたメッセージ=18日午前11時52分、宮城県名取市の名取市役所(沢野貴信撮影)(写真:産経新聞)

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名取市公所職員西城卓哉所寫留言-18日上午1152分,宮城縣名取市市公所(攝影-澤野貴信)(:產經新聞) 

「苦しいけど 負けないで! 名取市職員 S」。東日本大震災で大津波が押し寄せた宮城県名取市の市役所玄関ガラスにこんなメッセージが書かれた紙が張り付けてある。書いたのは名取市職員、西城卓哉さん(30)。津波で最愛の妻、由里子さん(28)が行方不明になり、8カ月の長男、直人くんを失った。自分と同じくかけがえのない家族を失った人たちは多い。それでも精いっぱい生きてほしい-。そんな思いを込めたという。

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「雖然很苦 但請不要被打倒! 名取市職員S敬上」。在東日本大地震中遭到海嘯襲擊的宮城縣名取市,市公所玄關玻璃上貼著這樣留言的紙張。寫留言的人是名取市職員,西城卓哉(30),至愛的妻子由里子(28)在大海嘯中失蹤,也失去了8個月大的長男直人。他說:跟我一樣失去無可替代家人的人相當多,但我深切希望即使那樣仍要好好活下去。 

 
3月11日。激しい揺れを感じた西城さんはすぐに、職場から由里子さんの携帯電話を鳴らした。一瞬つながったが声を聴けず、途切れた。すぐに市役所は地震で大混乱、職員としてさまざまな対応に追われ、気が付くと12日未明になっていた。ようやく自宅マンションへ戻ると、エレベーターは止まり、泥に足をとられた。部屋に入ると、2人の姿はなかった。近くの由美子さんの実家へ向かった。

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311日,感覺天搖地動的西城,立刻從辦公室打太太由里子的行動電話,電話短暫接通但聽不到聲音,不久就斷線了,同時,市公所裡也因地震而陷入大混亂,西城忙於處理一大堆事情,等到事情稍歇,已近12日清晨,終於回到了大樓家中,電梯停了,腳下都是泥巴,進入屋內,已不見妻兒二人的身影,立刻轉身前往不遠的由美子娘家。 

 
毛布、食料、紙おむつ…。寒さと飢えをしのげるよう紙袋に目一杯詰め込んで、必死に歩いた。「あとは、2人を見つけるだけ」。しかし、周辺に原形をとどめる家はほどんどなく、がれきの山だ。ひょっとしたら、がれきの下敷きになっているかも知れない…。由美子さんの実家を目指しながら、一晩中捜した。しかし、実家も建物はなくなっていた。

  

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將毛毯、食物、紙尿布...等御寒及防飢的東西裝滿紙袋,拚命走過去,心想:「等一下就可以見到二人了」,然而,四周幾乎沒有房屋是保持原狀的,到處都是如山般的瓦礫,或許,她們被埋在瓦礫下也說不定,望著由美子娘家方向找了一整晚,仍然找不到娘家房屋。 

  

 翌日夜、由里子さんの母親とようやく出会えた。自衛隊のヘリコプターに救出されたのだという。憔悴しきった義母は「2人とも流された。どこにも姿がないの…」という。絶望的な気持ちになったが、わずかな望みを信じ捜索を続けた。

  
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次日晚上,由里子的母親終於出現了,她是被自衛隊直昇機救出的,憔悴的岳母說:「她倆都被流走了,到處都找不到」,心中雖感絕望,但仍然懷抱一絲絲的希望持續搜尋。 


しかし、直人くんとみられる遺体が安置所にあると聞き、15日夜、身元を確認した。「肌着も服もよだれかけも、妻が好んで着せる組み合わせだった」。安置所で死亡届を出すと居合わせた同僚職員が泣き崩れた。

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然而,卻聽到了疑似直人的遺體被放置在安置所,15日晚,確定是直人,「內衣、外衣及圍兜都是太太一向喜歡幫他穿著的樣子」,恰巧在安置所開立死亡證明書的同仁也痛哭。

職場の後輩だった由里子さんと出会ったのは3年前。「誠実で信頼できる人」と一目で直感し、6月14日の由里子さんの誕生日にプロポーズした。昨年7月には直人くんが生まれた。幸せだった。デジタルカメラには、3人で迎えた最初のクリスマスの写真が保存してある。今年2月に撮影した1枚は3人で写った最後の写真。眺めていると、さまざまな思い出があふれてくる。

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與後來也進到市公所工作的由里子認識於3年前,她第一眼就直覺他是「誠實、可靠的人」,就在614日由里子生日那天,他向她求婚,去年7月生下了直人,好幸福!他的數位相機裡還保存著第一次三人一起過聖誕節的照片,還有今年2月拍的三人最後合影,  看著照片,心中湧起無限回憶。 


それでも西城さんはメッセージを書いて、市役所玄関ガラスに貼り付けた。

(中譯)

即使如此,西城仍然在市公所玄關玻璃上貼上以下留言:

『最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。

いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう精一杯生きます。

被災されたみなさん。

 苦しいけど

 負けないで!

名取市職員 S』

  

(中譯)

 在大海嘯中我失去至愛的太太與剛出生的兒子,但我仍然要像從前當好丈夫、好爸爸時一樣努力活下去! 

受災的各位 

雖然很苦 

請不要被打倒 

名取市公所職員 S 敬上

 

地震発生からちょうど1週間の18日午後2時46分、西城さんの職場でも黙祷を告げるサイレンが鳴り響いた。(吉田智香)

(中譯)

地震後一周的18日下午246分,西城工作的市公所響起了默哀的鳴笛聲(吉田智香)

   

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 http://www.nownews.com/2011/03/19/91-2697992.htm

 

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